前回は中学時代のお話でした。
今回は刺激的な高校時代を振り返りたいと思います。
以前のブログでも書きましたが、私が入学したのは、
全国制覇6回のバレーの伝統校、弘前工業高校です。
中学校のS先生の母校で、度々高校時代のお話を聞いていました。
とんでもなく厳しいところ、怖いところという印象で、
まさか自分がそこに行くとは思ってもみませんでしたが、
いざ入学すると、やはりとんでもないところで(良い意味です)。。。
数えきれないくらい色々とありましたが、
まず、中学校の卒業式が終わり、初めて弘前工業の練習に参加したとき。
早めに体育館に到着し、外で先輩が来るのを待っていたところ、
190cm近い人、もしくは180cm以上の人が続々と体育館に集まってきました。
その時点で雰囲気に圧倒されていましたが、
なんとか練習に入り、スパイク練習になりました。
すると、全員が大砲のような音を響かせてスパイクを打ち始めました。
打ったボールが跳ね返り、体育館のギャラリーにポンポン上がり、球拾いは2階までダッシュです。
中には跳ね返ったボールが天井に当たって鉄骨に挟まったりしていました。
大変なところに来てしまった。。。
下手な私からすると、もう別次元の世界でした。
次の日、意を決して2回目の練習参加。
その日は、先輩方も一緒に、なんとオーバーパスを延々4時間。。。
最後は監督が怒って帰ってしまうという事態。。。
結局その日の練習は、走ってオーバーパスをやって終了でした。
入学式が終わると、上下関係も本格的になり、もう辞めたいという思いが頭を支配してきます。
同級生は楽しく過ごしている中で、なんであんなにキツイことを。。。って思ってしまったんですね。
「辞めたいです。自分には無理です。」
体育教官室で監督に告げました。すると、
「だったら、お前は気が利くところがあるから、プレイングマネージャーやれ。」
ん?? プレイングマネージャー??
よくわからないけど、やります。
プレイングマネージャーとは、練習は一緒にしながら、
練習の補助、試合ではベンチでスコアを付けたりドリンクを渡したりなど、
サポートする役割です。
こうしてバレー部に残ることになり、その後トレーナーを目指す一番最初のきっかけになりました。
ありがたいことに、段々と先輩方にも可愛がって頂くようになり、少しづつ環境に慣れていきました。
高校時代の話は長くなるので、
続きは次回に。
では。