きっかけ3

前回は中学時代のお話でした。

今回は刺激的な高校時代を振り返りたいと思います。

 

以前のブログでも書きましたが、私が入学したのは、

全国制覇6回のバレーの伝統校、弘前工業高校です。

 

中学校のS先生の母校で、度々高校時代のお話を聞いていました。

とんでもなく厳しいところ、怖いところという印象で、

まさか自分がそこに行くとは思ってもみませんでしたが、

いざ入学すると、やはりとんでもないところで(良い意味です)。。。

 

数えきれないくらい色々とありましたが、

まず、中学校の卒業式が終わり、初めて弘前工業の練習に参加したとき。

早めに体育館に到着し、外で先輩が来るのを待っていたところ、

190cm近い人、もしくは180cm以上の人が続々と体育館に集まってきました。

 

その時点で雰囲気に圧倒されていましたが、

なんとか練習に入り、スパイク練習になりました。

 

すると、全員が大砲のような音を響かせてスパイクを打ち始めました。

打ったボールが跳ね返り、体育館のギャラリーにポンポン上がり、球拾いは2階までダッシュです。

中には跳ね返ったボールが天井に当たって鉄骨に挟まったりしていました。

 

大変なところに来てしまった。。。

 

下手な私からすると、もう別次元の世界でした。

 

次の日、意を決して2回目の練習参加。

その日は、先輩方も一緒に、なんとオーバーパスを延々4時間。。。

最後は監督が怒って帰ってしまうという事態。。。

結局その日の練習は、走ってオーバーパスをやって終了でした。

 

入学式が終わると、上下関係も本格的になり、もう辞めたいという思いが頭を支配してきます。

同級生は楽しく過ごしている中で、なんであんなにキツイことを。。。って思ってしまったんですね。

 

「辞めたいです。自分には無理です。」

 

体育教官室で監督に告げました。すると、

 

「だったら、お前は気が利くところがあるから、プレイングマネージャーやれ。」

 

ん?? プレイングマネージャー??

 

よくわからないけど、やります。

 

プレイングマネージャーとは、練習は一緒にしながら、

練習の補助、試合ではベンチでスコアを付けたりドリンクを渡したりなど、

サポートする役割です。

 

こうしてバレー部に残ることになり、その後トレーナーを目指す一番最初のきっかけになりました。

 

ありがたいことに、段々と先輩方にも可愛がって頂くようになり、少しづつ環境に慣れていきました。

 

高校時代の話は長くなるので、

続きは次回に。

 

では。