きっかけ5

今回も、高校時代の話です。

いい加減しつこいと思いますが、今日は暇なので書きます(笑)

 

初めての全国大会が終わり、熊本から次の合宿地、長野県に向かいました。

 

今と違い、飛行機や電車などの交通機関に詳しくないため、

ただ監督に付いて行くだけです。

 

ところが、長野に行くはずが、監督に連れられるがまま、

何故か東京都内のホテルにチェックインしました。

 

部屋割が決まり、各自荷物を置いたあと、監督の部屋に集合になりました。

なにがなんだか分からず部屋に集合したところで、監督が話し始めました。

 

「今回のインターハイ、敗者復活からベスト16。よく頑張った。

 なので、明日は皆でディズニーランド。」

 

こんな事もあるのか!!

弘前工業で良かった!!

 

高校生が2週間以上、全国を移動しながら集団生活をするとストレスも溜まります。

慣れない1年生は尚更です。

 

そんな中でのディズニーランド!!

 

最高の息抜きです。

 

弘前工業の名前入りTシャツとハーフパンツで大いにはしゃぎました。

 

夢の国で騒いだ後は、長野で合宿が待っています。

 

長野合宿は、日体大が中心となり、全国から高校の新人チームが集まって日体大カップというリーグ戦を行います。

 

秋の国体が控えているレギュラー組は、日体大と練習試合を行います。

 

夕食後、全チームがホテルの大広間に集められ、

当時日体大監督の森田淳悟さん(ミュンヘン五輪金メダリスト)から講話があり、

ミュンヘン五輪までのドキュメント「ミュンヘンへの道」を鑑賞しました。

 

「常識の延長線上には常識しかない。」

「金メダルを狙うには非常識を積み重ねていくしかない。」

 

故・松平元監督の言葉ですが、当時高校1年の自分には、あまり意味がわかりませんでした。

しかし、独立開業し、様々な準備やこれからの事を真剣に考えるようになり、

この言葉はとても深い意味があると感じています。

 

そんなこんなで、普通の高校生が出来ない経験をさせて頂きながら、高校3年になりました。

 

毎日がとても充実していましたが、バレーの結果は伴わず、

10年ぶりに県予選で敗退、春高バレー・インターハイに出場できませんでした。

 

このことは、未だに心の中で残っています。

 

人生で初めての挫折といっていいかもしれません。

 

しかし、この春高予選前の出来事が将来に大きく影響しました。

 

春高予選の3週間前、正セッターがケガをし、私が急遽セッターを務めることになりました。

その時、私も手首痛めてしまい、以前から通っていた接骨院にお世話になっていました。

当然、練習しながらなので治りも悪く、試合まで時間もありませんでした。

すると、接骨院の先生が、私のために練習後の夜9時頃に治療院を開け、

時間をかけて治療してくれました。

この事に感動し、スポーツトレーナーになって選手のサポートをしたいと思うようになりました。

 

高校3年間で、勝ちも負けも経験し、いよいよ進路を決める時期になりました。

ありがたいことに大学のお話も頂きましたが、私のバレーのレベルでは通用しないと分かっていたので、

お断りさせて頂き、本格的にトレーナーを目指すことにしました。

 

とは言っても、何をすればトレーナーになれるのか全くわからず、

スポーツというキーワードで求人を検索したところ、

株式会社グローバルスポーツ医学研究の求人がトップに出てきたのです。

 

名前もカッコいいし、求人数60人だから入れるかも!

 

といった単純な理由で問い合わせしたところ、

あれよあれよという間に面接日が決まってしまいました。

 

夜行バスで上京し、当時東京駅八重洲南口にあった本部に向かいました。

 

簡単な筆記試験の後、面接がありました。

そこには現社長や役員の方がいらっしゃり、緊張がピークに達していました。

どんなことを聞かれるのか、上手く答えられるか、あれこれ考えていました。

すると、聞かれたのはバレーのことばかり(笑)

 

「なんで大学行かないの?」

 

と聞かれ、

 

「私はそんなレベルでは無いので、バレーでは通用しないです。」

 

と正直に答えました。

 

数年後、その方々と食事をした時に聞いたのですが、

その答えで合格したらしいです(笑)

 

上司曰く、

「トレーナーになりたいという奴はスポーツ選手のなし崩れが多い。ケガで諦めたとか言い訳する奴が多いなか、

 お前は言い訳せず正直に答えたから採用した。」

 

とのことでした(笑)

 

こうして、2004年4月からグローバルスポーツ医学研究にお世話になることになりました。

 

今回はここまでです。

 

次回から社会人になってからのお話をしたいと思います。

 

では!